賛成意見
かつてもてはやされたマニフェストという言葉が現在ほとんど使われなくなったように、今ほど希望という言葉が力をなくしてしまったことはありません。言葉は使い手によって、その本来の意味さえも変えてしまうということでしょうか。次はリベラルという言葉も危なそうです。
衆議院選挙後は、大政翼賛会的な国会運営と国民の政党不信、特に国会で始まるであろう憲法改正に向けた議論が予想されます。憲法の前文と百三ある条文一つ一つ逐条的に冷静な議論がされ、新しい国際協調主義と真の立憲主義国家となるための道筋をつけることを求めてやみません。
一方、世田谷区でも情報公開と区民参加という言葉が今ほど力をなくしてしまったことはありません。区長の独断専行で手順を無視した手法を正当化するアリバイのために、まるで呪文のように使われるのは許せません。たとえ区長がコーディネーターだというシンポジウムを何回やろうが、区民参加ではありません。まやかしです。
保坂区政になってからシステムとして情報公開と区民参加を制度化し、区政に組み入れたものはありません。極めて情緒的なポーズだけで何も変えていないのです。提案している公職の口きき記録などは、区長自身にとって最も都合が悪いのでしょう。だから、区長は実現するつもりもありません。
さて、世田谷区は住民基本台帳人口が九十万人を超えました。十年後の二〇二七年には百万人を超えると推計されています。二十三区一の大所帯の自治体で生活する区民の多種多様な行政需要と課題は、直面する庁舎建てかえに代表されるインフラ整備、大規模災害への備え、ふえ続ける保育ニーズへの対応、教育関連費の無償化への取り組みや高齢者の生きがいと安心の確保を初め、それらを支える財政の健全性維持への取り組みなど、枚挙にいとまがなく、即座に全てが解決されることはありません。だからこそ、行政も議会も挑戦し続けなければなりません。
公平公正でサラリーマンや働く女性、若者、高齢者の一人一人が尊重され、生きがいを持って暮らすことのできる世田谷区構築に向け、職員一丸となって今まで以上に誠意をもって取り組まれることを要望し、賛成の意見といたします。