昭和38年 | 福島県郡山市生まれ 福島県立安積高校卒業 世田谷区岡本在住 |
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昭和61年3月 | 明治大学法学部法律学科卒業 (在学中明治大学雄弁部) |
昭和61年4月 | 衆議院議員 亀岡高夫秘書 |
平成 1年9月 | 亀岡先生逝去に伴い衆議院議員 小沢一郎秘書 |
平成 3年9月 | 民間会社入社(その間、衆議院議員 玄葉光一郎公設秘書) |
平成10年8月 | 民間会社 総務部在職 |
平成11年4月 | 世田谷区議会議員当選(得票数:5,735 55議席中7位) 会派政務調査会長、議会運営委員会委員、都市整備常任委員会、公共交通機関対策特別委員会、広報小委員会、スポーツ振興審議会、美術振興財団評議員会、勤労者サービス公社評議員会、福祉保健常任委員会、清掃・リサイクル対策特別委員会、環境審議会、福祉的環境整備審議会、コミュニティ振興交流財団評議員会 |
平成15年4月 | 世田谷区議会議員第2期目当選(得票数:4,005) 世田谷区議会都市整備常任委員長、オウム問題・防犯対策特別委員会委員、農業委員、都市計画審議会委員 |
平成18年4月 | 世田谷区民連合幹事長(会派現有議員10名)、世田谷区議会企画総務常任委員会委員、公共交通機関対策特別委員会副委員長、議会運営委員会委員、消防団運営委員会委員 |
平成19年4月 | 世田谷区議会議員第3期目当選(得票数:6,136票、52議席中4位) 文教常任委員会委員、地方分権・庁舎問題対策特別委員会委員 |
平成22年 | 減税せたがや代表 区民生活常任委員会委員 地方分権・庁舎問題対策特別委員会委員 民間企業在籍中 明治大学校友会代議員 |
平成23年4月 | 世田谷区議会議員第4期目当選(得票数:4423票 50議席中14位) 区民生活常任委員会委員、環境・エネルギー問題対策特別委員会委員 |
平成27年4月 | 世田谷区議会議員第5期目当選(得票数:5878票、50議席中7位) 区民生活常任委員会委員 地方分権・本庁舎整備対策特別委員会委員 |
平成31年4月(令和元年) | 世田谷区議会議員第6期目当選(得票数:8276票、50議席中4位) 文教常任委員会委員 オリンピック・パラリンピック等特別委員会委員 慶應義塾大学経済学部(通信教育課程)在学中 |
現在 | 企画総務常任委員会委員 スポーツ・交流推進等特別委員会委員 |
「阿部力也」ゆかりのご先祖さん
阿部 又吉
明治期の政治家 吾妻村(福島県)村長。
生年 弘化4年7月6日(1847年)
没年 大正9(1920)年6月24日
出身地 陸奥国耶麻郡長瀬村(福島県猪苗代町)
経歴戊辰戦争では陸奥二本松藩(福島県)、母成峠守備農兵隊長として活躍。
明治26年郷里の耶麻郡長瀬村(猪苗代町)村長、40年吾妻村村長。
耶麻軌道の創立、中ノ沢温泉の開発に尽した。
村井(阿部)八郎
福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。
阿部又吉の五男として生まれ、村井半之助の養子となる。
会津中学、第一高等学校を経て、1912年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。
内務省に入省し福島県属兼警部となる。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。
以後、新潟県東蒲原郡長、同三島郡長、同理事官、長野県警察部長、大分県警察部長、熊本県書記官・警察部長、山形県書記官・内務部長、大阪府書記官・警察部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
1931年12月、福島県知事に就任し、1932年6月28日、知事を休職となる。その後、郡山市長を経て、太平洋戦争時の川崎市長を務めた。
1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で福島県選挙区に日本進歩党から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。衆議院請願委員長や戦災復興院政務官を務めている。
その他、日本自由党政調会副会長、東京トヨタ自動車販売監査役、福島トヨペット取締役会長、川崎市商業活動調整協議会長などを歴任。
1952年から1期務めた若松市長時代には、若松市と7村との合併を実現して会津若松市を発足させ、裏磐梯の観光開発などを進めた。1970年10月11日死去。享年83。
書籍案内
マスコミ出演等
日本テレビ「太田総理」「ズームインスーパー」、フジテレビ「スタメン」「スーパーニュース」、テレビ東京「みのもんたの代議士の妻たち大集合」、文化放送「吉田照美のやる気満々」「エコノミスト」「アサヒ芸能エンタメ」「女性セブン」、テレビ朝日「ワイドスクランブル」「ス−パーモーニング」などにあべ力也区議会議員が出演もしくは取り上げられると共に、明治大学でも地方行政の講演。