朝日新聞6月11日の朝刊「TOKYOあれから4年の選択」医療 はその通り!!
◆次々消えた小児病院 都議って何なの
八王子市に住む主婦(43)は、ダウン症の息子(10)の肝臓の状態が悪化し、6月初旬から世田谷区の病院に入院させた。市内から車で約2時間。自宅に近いかかりつけの総合病院に「うちでは診られない」と紹介された。女性は「障害のある子を受け入れてくれる病院が少ない」と嘆く。
4年前は違った。自宅から約10分の場所にあった都立八王子小児病院は24時間対応。肺の弱い息子が、呼吸困難になって夜中に駆け込んだことが何度もあった。
だが2010年に閉鎖された。以降、夜間救急は別の2病院での交代制。夜中に一方に行くと「かかりつけではないので、朝にはもう一方の病院に行って下さい」と言われた。「八王子は小規模ながら『受け入れてくれる』という安心感があった」という。
世田谷区にあった都立梅ケ丘病院もなくなった。小児精神科の専門だった。池崎吉次さん(67)は、この病院を目当てに約10年前、大田区から引っ越してきた。長男(27)と長女(21)がともに自閉症で病院で治療を受けた。今は、また別の病院の近くに引っ越すことを考えている。
●10年間で660カ所減少
都が八王子、世田谷、清瀬の三つの都立小児病院を廃止し、新設する都立小児総合医療センター(府中市)に廃合する計画を公表したのは01年。減少する小児科医などの「医療資源」を集中することで高度の医療拠点とする目的だった。
その後も都内で小児科を掲げる医療機関は減少を続け、00年の3525カ所から10年には2859カ所。
センターは10年、小児科医の数で都立3病院の合計の約1・5倍、新生児向けの集中治療室(NICU)も9床増の24床でオープン。小児重篤患者を必ず受け入れる「こども救命センター」指定を受けるなど機能も充実させた。都の担当者は「統廃合効果で、小児医療の中核になった」と強調する。
●公約と食い違う対応
ただ、3病院に通っていた人にとっては距離や通院時間は延びた。さらにわだかまりを残したのが、前回都議選後の経緯だ。
すでに3病院を廃止する改正条例が可決された後の09年都議選で、民主党は「都立病院を守る」と主張。だが、選挙後は、別の病院の医師増員などの対策を都に約束させ、統廃合容認に回った。
統廃合白紙化の条例を可決しても、都側が地方自治法に基づく「再議」を求めた場合、反対派だけでは、再可決に必要な3分の2に達しないことから、「実」をとった結果だった、といわれる。
やはりダウン症の子を持ち、八王子小児の存続運動の先頭に立った矢代美知子さん(66)は言う。
「存続運動の結果、跡地に医療機関ができたなど得られたものもある。でも都議選後の経緯は今でも納得がいかない。都議選って、都議って何なんだろう、と。不信感だけが残っています」
(千葉雄高)